葉山で感じ、未来に。

調子に乗って長々と駄文を書き綴ってます。

一部の人には伝えていましたが大好きな葉山での生活もあと2週間となりましたので正式にアナウンスすると実は4月から山梨県北杜市小淵沢町に家族3人で移住します。

移住の訳は本格的に農業をする為に知り合いの農場で農業への知識、技術の習得の為。農業をやると言っても並大抵の事では無いとも十分感じています。況してはやっと葉山の生活に慣れて生活の基盤が整いだした矢先ですから先ずは家族に理解してもらう事が大前提でした。しかし3.11以降、葉山に移住しこれまでにない状況を感じ僕が家族に出来る事、僕が世の中に出来る事を考えた末に決めた事です。安心して美味しいものを食べさせたい。美味しいものを食べてる時の笑顔は何者にも代えられないと思います。食べるという行為は人間が生きていくうえで基本的なことです。シンプルに大切な命をいただいて自分達の命を未来につなげる。親から子供へ、子供達から次の世代へ大切な命をつなげるリレーの様なものですね。なのに人間はとても愚かでもあります。僕たちが自然と調和しなければいけないのに人間中心の考えが自然を破壊して自分で自分の首を絞める様な状況では未来の子供達に大切な命をつなぐことが出来なくなってしまします。正直言って都会にいる時にはこんなことは微塵も考えたりしませんでした。娘の喘息の為に空気のきれいなところに住みたいという気持ちから葉山に移住しました。住んでみるとこのエリアには環境や食、エネルギー問題など、とても意識の強い方々が多く住んでいます。このエリアに住まなかったら僕の次の行動はあり得なかったかもしれません。

僕の父親の実家は福島県猪苗代町にあります。小学生のころは毎年のように盆か正月のどちらかには父の実家に家族で行っていました。方言がキツくて親戚に何を言われているのかチンプンカンプンでした。しかし夏休みに父の実家に行った時、庭先で婆ちゃんが栽培していたトマトを水道水掛け流しの樽に入れキンキンに冷やして食べた完熟トマトの味は今でも忘れられません。そうです、キンキンに冷えた冷蔵庫のトマトではなく僕の娘にもそんな体験をさせてあげたいなと。

続く。

葉山での暮らし

僕の中でぼんやりと輪郭がなんとなく形になりつつ葉山での暮らし
光り輝いていた夏が過ぎて季節は秋、冬になりました。
我が家の1階の床は大部分がセメントの土間です。
夏は涼しく、冬はとても寒くw 毎朝娘が起きる前に寝室のある2Fから土間に降り暖房器具を全てつけ、コーヒーの為のお湯を沸かすのが日課で憧れの蒔きストーブ生活はまだまだ先になりそうです。
畑には秋に植えたニンニクだけなので冬の間の時間のある時には比較的暖かい三浦半島を自転車で往復していました。

葉山に住んで段々判ってきたことは鎌倉、逗子、葉山、秋谷周辺には面白い人々が多く住んでいる事。そして派手ではないけど素敵なお店が多数存在する事。当然、海もあって山もあるし都心のアクセスも電車移動であれば1時間程です。僕自身、都心に出ること自体嫌いじゃないし、移動の電車の中では読書、車移動では好きな音楽を聴きながら、はたまた自転車移動ではトレーニングを兼ねて三通りの移動手段を楽しんでいますw

海に近いという事もあってサーフィンも波が上がれば出来ます。
しかしこちら方面ではウネリ、潮回りを考慮しないとなかなか楽しめなく、尚且つローカリズムがとても厳しいポイントなので知り合いがいてくれたおかげで比較的すんなりコミニティに入れたのはラッキーでした。湘南方面では葉山に来てからは一度も行っていません。僕もホームブレイクとしてゴミ拾いなどを積極的におこない、時には娘を連れて流木や流れ着いた面白い物など拾うビーチコーミング、ワカメ狩りなんかを楽しんでいます。

本来サーフィンは楽しく美しいものなのに時には人間の醜さも露呈されてしまいます。ここではこれ以上は触れませんがwルールを守りリラックスしてサーフィンしたいものです。海はみんなのものですよね?

ここで全然関係ないのだけど娘の学校の課題を頼まれたので皆さんにも披露してしまいます。

娘が産まれる前にしたこと。産まれてからしたこと。を書いて欲しいと頼まれました。


以下、娘に渡したメモ。

ケイトがうまれるまえに。

パパはケイトがうまれる前にあたしいカメラを買いました。
そのカメラでケイトがエリちゃんのおなかからでてきた時にしゃしんを
とるためです。

ケイトがうまれたあと。

ケイトが大人になるまでそのカメラでケイトのしゃしんをとりつづけます。
そしてケイトが大人になってパパからはなれる時、そのカメラとさつえいしたしゃしんをケイトにわたすつもりです。

続く。

葉山への移住

この4月で東日本大震災後の葉山での暮らしが2年経ちます。葉山の家は震災前に入居が決まっていたものの震災から約一ヶ月後に転居し家庭を持つ身としては放射性物質への懸念や社会の混乱のなか新しい生活がスタートしました。正直言って僕自身も相当混乱していたと思います。

ただ娘が小学校に入学する事だけがひと筋の光でした。入居後も家のリフォームは続き(葉山時間と言ってしまえばアレですが、、、w)毎日大工さんや建築士さん達と顔を会わせる日々が6月まで続き少し間が空いて7月中旬からリフォームが再開されました。空白のリフォーム期間中は公共性の高い、しかも海開きにあわせて完成させなければならない海の家を優先して頂く事は仕方ないと葉山の新住人としては割りきりましたw(海の家の仕事に行くのでとは言われていませんが何となくわかります)

母屋とスタジオの砂壁を剥がしてシーラントと呼ばれる下地剤を塗りペイントする作業は自分達で行いました。スタジオの外壁も凹凸の壁にシーラントを塗り込む作業に苦戦しながらも何とかスタジオらしく黒い外壁になり見栄えも一段と良くなりました。

ただし、真夏になると黒壁は熱を吸収してしまい温度を下げるためにも打ち水をしたりして温度を下げる工夫をしました。一応、我が家の各部屋にエアコンが付いていますが夏の間一度もエアコンを入れることなく過ごしています。家は標高55mの所にあり夏でも気持ちの良い風が家を通過します。真夏の午後に畳でゴロンとしながら気持ちの良い風が肌をつたわる感覚は何とも心地良いです。

 入居後、雑誌等で取り上げていただいたりしながら新しい生活、普通の生活を取り戻しつつありました。4月に町役場に転入届を出しに行った時にエリが町民農場に申込みしようと言っていたので何も考えずに「いいんじゃない」って言った事が人生を大きく動かすひと言だったとはその時点では思いもしませんでした。抽選だし倍率高いって聞いていたのでくじ運の悪い我が家が抽選に当たる筈がないとタカをくくっていました。しかし、町役場から抽選の結果で畑を借りられる通知が届きました。その時点でも特に僕はピンと来なくてエリが家庭菜園をやるのをお手伝いする程度の感覚でした。

最初に畑に行ったのは家族三人で行ってなんとなくホームセンターで野菜の種を買ってきて見様見真似で種を蒔きました。周りにも同じように家族連れや初老のご夫婦などが町民農場で家庭菜園を楽しんでいるようでした。

5月頃に種を蒔いて2回位畑に行って水撒きをしたのですがありがたい事に急に海外ロケなど慌ただしい生活になってしまったので畑に行く機会がありませんでした。僕の認識では畑担当は奥さんのエリだと思っていました。

しかし、エリが畑に行ったのは僕と一緒に行った2回だけで畑の場所もひと山超えて行かなければ行けない距離なのでいた仕方ないとは思うけど海外ロケなどの仕事がひと段落着いた七月に僕が恐る恐る畑を見に行くと我が家の畑だけ高さ50~60cm位の草ぼうぼうでひときわ異様でしたw

これでは周辺の畑の方から苦情が入ってしまうと思い慌てて汗だくになりながら雑草を抜いてみるとなんと種を蒔いた枝豆、ナス、とうもろこし、かぼちゃ、里芋などが発芽し成長中でした。枝豆は小さいながらもちゃんと枝豆の形をしていたので感動しました。

その後、こまめの畑に僕だけが通う様になってきゅうり、ズッキーニ、ほうれん草、小松菜、サニーレタス、さつまいも、などなどを作りました。しかし、ど素人の見様見真似の家庭菜園だし失敗も沢山あります。とうもろこしはもう少しで収穫というところでカラスにやられました。朝畑に行って食べ散らかされたとうもろこしを見てしばし呆然としてしまいました。

カラスもとうもろこしの美味しい時期を知っているようです。これは自分の無知が引き起こした事だと思い美味しいとうもろこしをカラスが食べるのは当然だと思うことにしました。ちゃんとネットを張っておけば美味しいとうもろこしが我が家で食べれたはずなのに、、、!

それ以外にもほうれん草は全然大きく育たなかったり、ズッキーニが葉っぱだけ大きくなってズッキーニ自体が小指の大きさ位にしかならなかったりと失敗も沢山しました。それでも枝豆やさつまいも、小松菜などは見事に収穫出来ました。自分で作った野菜をを食べる事に喜びを感じ始め失敗しない様に本などで栽培方法などを調べていくうちに色んな栽培方法が有り奥が深いなと感じていきました。

いつの間にか自然に感謝しながらの家族で過ごす日々。波乗り、ロードライド、家庭菜園、仕事と都会にいる時より遥かにゆっくり流れる時間の中で自分自身を見つめ直す時間が持てるようになった葉山での暮らしで僕は新たな物を少しづつ感じる様になっていきました。

続く。